片倉城

武蔵の城歩き

片倉城は、駅からすぐという立地条件だけではなく、国道沿いに駐車場があり、とても訪れやすいところです。公園として整備されているので、城内も歩きやすくなっています。また、空堀や土塁、急峻な斜面など、築城当時の遺構も様々残っていて、見れば見るほど興味深い、おすすめのお城です。

JR横浜線の片倉駅から、徒歩となります。自動車の場合は、国道16号線沿いに駐車場があるので、そちらが便利です。駐車台数は20台ほど。相模原方面から国道を進むと、横浜線のガードをくぐって少し行ったあたりに、公園駐車場の看板があります。入口はそんなに広くないので、よく見ていないと、駐車場入口を通り過ぎてしまいそうになるので、注意が必要です。

城の北・東・南の3面は、江戸時代は沼地であったといいます。現在も、近くを湯殿川が流れ、池や湿地も残っていて、当時の様子がうかがえます。

郭のある丘の上に進もうとすると、城の北・東・南の3面が、たいへん急峻な断崖に囲まれていることに気づきます。腰郭にある神社に向かう石段は、たいへん急斜面で驚きます。階段の脇をよく見ると、別の腰郭かもしれない平らな面が見えました。いたるところに、城の形跡が見られます。

神社の上が、本丸(主郭・東郭)です。

土塁のなごりか、隅に盛り上がったところがありました。

本丸と二の丸は、空堀で区切られています。年月が経ってだいぶ埋まっていますが、しっかり残っています。

こちらが二の丸(西郭)です。天気がいいと、ピクニックする家族連れなども見られます。

二の丸の北側に、空堀を挟んだスペースがあります。これが馬出しとも考えられるのですが、どうなのでしょうか。

二の丸の西側の土塁の奥に堀切があり、その向こうは現在畑になっています。この城は、北・東・南の3面は沼地と急峻な地形で天然の要害となっていますが、西側は唯一開けています。この堀で敵の侵攻を抑えたということでしょう。今は年月が経って埋まっていますが、往時は深い空堀だったのでしょう。

この二の丸と堀を挟んで西に広がる畑のある平面が、この城を敵が攻めてくる際の方向になります。城を守るのは、この二の丸と畑の間にある空堀だけだったのか、それとも、ここから先に「第三郭」があったのか、そんな想像をしてしまいます。この西に広がる畑のあたりを、『日本城郭大系』は、「『新編武蔵国風土記稿』では侍の屋敷町と説明しているが、もう一本空堀らしいものもあり、研究者の中には三の郭とする説もある。ただし、いささか広すぎるきらいがあろう」と述べています。実際に、畑をだいぶ進んだところの農道が、そのまままるで竪堀のように下っていく場所があって、ここが「第三郭」の端にあたる空堀のあとかと、想像してしまいました。そうすると、二の丸に比べて相当広い場所になってしまいます。これだけ広い場所を守備する多くの兵力を準備できたのでしょうか。ちなみに、この畑は、さらに西に平らな面が続き、片倉つどいの森公園となっています。この広い平面から攻めてくる敵に対し、どう守ったのでしょうか。

二の丸の土塁に登ってすすむと、二の丸と畑の間の空堀の様子がよく分かる場所に出ることができます。深く刻まれた空堀と二の丸を囲む土塁の急峻な壁を見ることができます。この二の丸の西側の守りが、この城の重要な点となっています。堀の中に小さな独立した郭などもあり、守りを工夫している様子がわかります。公園の整備された空間からは外れますが、このように、郭の周りの様子を見ることも、城歩きの醍醐味のように感じます。

片倉城は公園として整備されていることもあり、本丸や二の丸、ふもとの池や湿地など、ゆっくり見て回りながら自然を感じることができます。

城趾としては、コンパクトとはいえ、空堀が張り巡らされ、土塁もいたるところに残り、北・東・南の3面が急峻な断崖のような様相を示していて、土の城を学ぶには絶好だと思います。残った西側が、この城の守りの要であることもわかります。公園のメインの道からは少し外れますが、ちょっとした山道を歩き回り、土塁や空堀、郭の裏など見ていくと、いにしえの人たちの息づかいが感じられるような気持ちになります。

参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 5』新人物往来社 1979