殿ノ城は、『日本城郭大系』の中で紹介されています。Googleマップ上では場所が示されていますが、特に現地にそれを示す標識等は見当たりませんでした。Googleマップ上で城址とされるあたりには、菅原神社と井手の沢古戦場の碑が建っています。
殿ノ城へは、小田急線町田駅、JR横浜線町田駅方面からバスで、菅原神社前で下車します。また、菅原神社には駐車場もありますので、神社へ参拝するということで、そちらを利用することもできると思います。
場所は、東京都町田市。鎌倉街道沿いで、北に恩田川が流れています。地形としては、菅原神社の西側が谷となっていて、南から続く台地が恩田川に向かって張り出したような形になっているところです。明治時代の地形図を見ると、当時の街道は、現在のように神社の東側を通っておらず、菅原神社の西側に通る道であったようです。そちらが本来の鎌倉街道なのかもしれません。
『日本城郭大系』は、「殿ノ城 あるいは御屋舗とも呼ぶ、何人の館跡と云うことを伝えず」と、『新編武蔵国風土記稿』を引用しています。
菅原神社のある場所から、鎌倉街道をはさんだ北側、恩田川に近い場所に、公園の名前として「おやしき」という地名が残っています。同様に、鎌倉街道の北側、恩田川の手前に「御屋敷」と名のつく事業所があることもGoogleマップ上に見つけることができます。

鎌倉街道の交差点側から菅原神社に向かうと、参道のあたりが、周りから比べてややくぼんだ平地になっています。

向かって左手に、「御神水」の碑があり、その裏手が沢のようになっています。これが「井手の沢」という地名と関わりがあるのでしょうか。


参道はそのまま急階段へと続いていますが、よくみると、正面が崖になっていることがわかります。
左手は建物が張り出しています。右手をみると、他の城址でも見られるような、急峻な崖になっています。自然の崖なのでしょうか。

階段を上がったところが平場になっていて、菅原神社の本殿や参集殿、神楽殿などの建物が建っています。

左手の愛宕神社に通じる階段を上がったところも、一段高い平場になっています。


右手奥のトイレの脇に、井手の沢古戦場の碑と説明があります。
中先代の乱(1335年)の際に、北条時行が足利直義軍を破った古戦場で、菅原神社と、その南の町田中央公園のあたりが古戦場跡と伝えられているようです。

この古戦場の碑のある平場から鎌倉街道側に降りる道は、女坂と呼ばれているようです。正面の、現在急階段のある場所に対しての呼び名なのでしょう。

菅原神社のある場所のみを見ると、参道のあるくぼんだ平地が城の麓となる沢のなごりで、そこから急峻な崖に守られた本殿がある平場、そして最も上段の愛宕神社や古戦場碑のある平場という複数の曲輪を想定したくなりますが、それは早計なのでしょう。『日本城郭大系』も、そのような言及はしていません。
御屋敷という地名が北側に広がっていることを考慮すると、神社の建つ場所だけではなく、もう少し広い視点で考えるべきなのかもしれません。
とにかく、川沿いの低地に突き出した台地の突端部と言える場所で、城郭を築くのにもふさわしい場所です。さらに、脇に鎌倉街道が通り、また、中先代の乱の戦場となったということからも、この地が戦略的にも重要な場所であったと言えるでしょう。
もう少し別の資料にもあたってみたいところ、興味が深い場所です。
参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 5」新人物往来社 1979

