坂本氏は甲斐武田氏の旧臣でしたが、重安の祖父の代に武田氏滅亡のため徳川家康に仕え、相模国高座郡に采地を与えられました。
『日本城郭大系』によれば、重安の屋敷は深見村の東、広さ1200坪ほどと伝えられていますが、『大系』が書かれた昭和50年代にはすでに位置は知られていなかったようで、境川西岸の坊之窪あたりにあったとも考えられているとのことです。
目安となる坊之窪自治会館は、相鉄線、小田急線の大和駅から徒歩で13分あまりです。
坊之窪はその名が表す通り、境川西岸の窪んだ低地で、現在は住宅地となっています。
自治会館は、その低地の西側に広がる台地の際にあたり、低地側から見ると、一段高くなったような場所にあります。

当時の面影はありませんが、屋敷は台地上で、低地の田を見下ろしていたのかもしれません。
自治会館の隣には八坂神社が祀られています。

『大系』は、「字坊之窪の八坂社、日枝社に坂本内記重治の幟(のぼり)が奉納されており、立派な神輿もある」と紹介しています。
重治は重安の養子で、大目付から寺社奉行になり、一万石を領有したと『大系』は述べています。
そこから南に進み、相鉄線の線路を越えてすすむと、深見神社の鳥居が目の前に現れます。

鳥居の脇にある「深見神社社号標」は、寛政3(1791)年に深見村の領主であった旗本坂本重治が造立したと伝えられています。

深見神社の由緒書きにも、坂本氏の名前が見られます。


神社の北側に佛導寺があります。

ここに坂本氏の三代の墓があり、梵鐘の銘文には坂本家三代貞吉や五代重治の名があるということです。

屋敷の面影は見られませんでしたが、坂本家の痕跡は、至る所に残っているようでした。
参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6』新人物往来社 1980
