躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた/武田氏館跡)は、戦国大名武田氏の館跡です。当時の土塁や堀などよく残っていて、当時の大名の居館がどのような工夫で守られていたか、よくわかります。
躑躅ヶ崎館へは、JR中央本線・身延線の甲府駅から、バスまたは徒歩で向かいます。徒歩だと30分以上かかりますが、道は真っ直ぐなので、迷うことはないでしょう。
武田神社の入口が見えれば到着です。むかって右手に甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)があります。その施設の中に、館跡の全体図が示されたパンフレットがありました(他の場所にもあるのかもしれませんが)。まず、ここでパンフレットを入手し、全体図を見ながら見学するのも一つの手です。信玄ミュージアムは、館跡の見どころなども示されているので、まずはここを見学した後に、館跡を見学するのもいいでしょう。(常設展示は無料、特別展示室は300円)

正面に武田神社の門柱や鳥居があり、館跡に入ることができます。石垣が積まれ、当時の面影を残しているように見えますが、この入口部分は、当時、なかったものです。

神社のある場所が「主郭」です。初期の館はこの主郭のみであったといいます。よく見ると、まわりがとても高い土塀で囲まれているのがわかります。見上げるほどの高さで、守りの堅牢さがうかがえます。土塀のまわりには、深い空堀や水堀がセットとなっています。

神社の東側が、本来の出入り口である「大手門」となります。大手門の正面には「馬出し」が復元され、あたりは史跡公園として整備されています。説明板などもあるので、わかりやすいです。また、このように大手門の東側に広く設備が設けられたのは武田氏滅亡後のようです。武田氏の頃は「馬出し」がおかれ、大手門からの敵の侵入に備えたようです。ただ、現在復元されている「馬出し」は武田氏の時代の形ではなく、後の時代のものです。武田氏の時代は、「丸馬出し」と「三日月堀」が築かれていたそうです。

西曲輪は、信玄の嫡男である義信の婚姻に際して増築されたと言われています。北と南の出入り口が、「枡形虎口」として復元されています。守りやすく攻めづらい様子がわかります。

南側の枡形虎口付近から、土塁の上に登ることができ、虎口から入ろうとする敵への備えを感じたり、水堀を見下ろして居館の守りを感じたりすることができます。

この館は、とても高い土塀と、そのまわりに水堀と空堀が張り巡らされていて、いたるところで、昔の雰囲気を感じさせます。

西曲輪の北の枡形虎口から、深い空堀にかかった土橋を渡り、館の北側に出ることができます。このあたりも曲輪があったようで、ところどころ発掘調査しているようです。よく見ると、遠くに石垣などもみえ、館の範囲であることがわかります。とても広い館だったことを感じることができます。ただ、すべてが武田氏の時代のものではないようです。

ちょうど主郭の北側あたりに、空堀に囲まれた小さな曲輪があります。図面から、「稲荷曲輪」であることがわかります。はっきり残っていて、昔の面影を残しています。

この館は、いくつかの曲輪と、それを取り囲む高い土塀、深く掘られた空堀と水堀、枡形虎口など、土の城の特徴がいたるところに見られます。歩けば歩くほど、発見があるかもしれません。ただ、すべてが武田氏の時代のものではなく、江戸時代に今の甲府城に政治の中心が移るまで、豊臣や徳川の家臣たちによって様々手を加えられてきたようです。そうしてできた多くの遺構が、歴史を感じさせてくれます。
参考 パンフレット「国史跡 武田氏館跡」甲府市教育委員会歴史文化財課

