早川城

相模の城歩き

早川城は、現在、城山公園として整備され、園内はとても歩きやすくなっています。

地形的には、台地の突端部が突き出して、いるいわゆる舌状台地を形成し、台地との連続部分である北側は大きな堀切(A)で区切られ、他の三方向(B、C、D)は急峻な崖と湧き水や湿地、川などに守られています。

地理院地図をもとに加工

早川城へは、JR相模線、小田急線、相鉄線の海老名駅から、綾瀬市役所行きのバスに乗り「城山公園」で下車します。自家用車の場合は、北側と南側にそれぞれ城山公園の駐車場があるので、それを利用するといいでしょう。

北側の駐車場から公園の中に進むと、野外炊事場があるレクリェーション広場や遊具のある冒険広場が広がっています。

それらを抜けたところに大きな堀切が見られます。

堀切の東側はそのまま竪堀となって崖下に向かっています。崖の下のあたりはよくわからなくなっていますが、崖の途中では、竪堀が両岸を区切る様子がうかがえます。写真ではよくわからないのですが、手前の茂みと奥の茂みの間には深い堀が残っています。

堀切の西側です。西側は、公園に向かう通路のあたりで現在は堀が消えてしまいます。

本郭側から見た堀切のわきには土塁が残っていて、堅牢な守りがうかがえます。

堀切を過ぎて広がる広場が本郭です。写真では、向こう側に物見塚と呼ばれる盛り土が見えます。

本郭の西側は谷底の公園に降りる道があります。急峻な斜面で守られている様子がうかがえます。

谷底との公園との間に通路がありますが、「日本城郭大系」は空堀跡と述べています。

物見塚の西側から、本郭の外周に沿って、一段下がったような通路がありますが、「日本城郭大系」は、堀跡の可能性が強いと述べています。ちょっとした公園内の段差にも、意味があるようです。

上の写真の右手の通路を降りると、平坦な面があり、腰郭の跡のようです。

その腰郭から、さらに南に向かって坂を降りたあたりも平坦な場所が通路の両側に広がっていて、別の腰郭かもしれません。

南西側は湧き水とわさび田(?)、日本庭園が広がるほか、目久尻川が流れており、湿地帯が天然の要害を構成していたことが連想されます。

本郭の南側は、現在、花木園になっています。近くには湧き水の流れもありました。

花木園から本郭への通路です。急峻な崖です。

通路の途中に平場が見られました。腰郭か何かなのでしょうか。

「日本城郭大系」は、南麗の湧水に沿ったあたりは温暖で居住に適し、居館はふもとに置かれたのではないかとあります。南側の谷を隔てた台地は「武者寄」の地名が残っていて、目久尻川にかかる橋に名前が残っていました。ちなみに、奥に見えるのが新武者寄橋です。

東側の崖下、谷底は湿生園となっていて、現在も湿地帯が形成されています。

湿生園脇の通路部分は、西側と同じく、「日本城郭大系」は空堀跡としています。

早川城は、住宅地にある公園で、訪れやすく、歩きやすい場所です。本郭は「桜の広場」と名付けられ、他にも日本庭園や花木園などもあり、四季折々に様々な景色を見せてくれる場所のようです。


また、公園の周囲を含めて散策すると、深い空堀、急峻な崖と谷や湿地などを見ることができ、本格的な城の遺構を感じることができます。
ここはどんなふうに守ろうとしたのだろうとか、ここはどうやって攻めたらいいのだろうなど、そんな事を考えながら歩き回り、楽しく時間を過ごすことができました。

参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6」新人物往来社 1980