石垣山一夜城は、豊臣秀吉が小田原攻めの際に築いた城郭です。石垣の多くはくずれていますが、秀吉が見た石の前にいるのだと思うと、歴史を大いに感じさせてくれます。現在、国史跡に指定され、「石垣山一夜城歴史公園」として整備されています。
石垣山一夜城へは、JR東海道本線 早川駅から徒歩約50分、箱根登山鉄道 入生田(いりうだ)駅から徒歩約60分です。駅から城に行くバスはありません。駐車場があるので、自動車が便利です。
私は、早川駅から、みかん畑の中をのんびりのぼって目指しました。
駐車場の向かい側に入口があります。そこから、森の中をすすんでいきます。遊歩道がしっかり整備された木々のなかをすすむことになります。



坂道を右手にのぼっていくと、やがて、眼の前に石垣が現れ、広い曲輪に到着します。「二の丸」です。『日本城郭大系』では「厩郭」となっています。左奥にくずれた石垣に囲まれた高い地形が見えますが、そちらは「本丸」にあたります。


「二の丸」からさらに北にすすむと展望台です。小田原城下が一望できます。秀吉もまた、小田原城をこうやって見下ろしたのでしょうか。

展望台の北東側の「井戸曲輪」は、石垣がきれいに残っています。まわりから下がっている曲輪は、めずらしいと思います。当時の城造りの技術の一つを感じさせてくれる場所です。
『日本城郭大系』は、この「井戸曲輪」と展望台のある「馬出郭」の間に通路が認められ、また、ここをでた「井戸曲輪」側に「櫓台跡」もあるので、これが大手の方向であると述べています。展望台のある場所と『井戸曲輪」の間が大手道にあたるということです。のぼってきた道ではないのだということです。


「本丸」です。こちらもよく見ると広い曲輪です。『日本城郭大系』は、門は右の東方正門の他に南郭上段の枡形へ降りる南門、あとは天守台犬走りと北側腰郭へ連絡する通路があると述べています。よく観察すると、それらしい遺構も残っています。奥の少し高くなっている場所が「天守台」です。『日本城郭大系』は、二層ないし三層の櫓が考えられるが、たぶん二層だろうと述べています。



「南曲輪跡」です。『日本城郭大系』は、「上南郭」「下南郭」に分けています。

石垣山一夜城は、広い遺構が残っています。石垣は、当時のままそのまま積み上がっているものもあれば、崩れてしまっているものもありますが、それぞれ大きな迫力を感じます。これだけの石垣を張り巡らせたところに、秀吉の力も感じます。実際に一夜で築かれたのではありませんが、北条氏降伏のきっかけとなり、歴史を大きく動かすという役割を果たした城なのです。教科書に載っている城なので、歴史を直に感じられるように思います。


戦国を終わらせる戦いの時期に築かれたことを考慮すれば、この城郭は、戦国の集大成とも言うべき技法が使われているのでしょう。また、機会があれば、訪れてみたいです。
(写真撮影 2015.5)
参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6」新人物往来社 1980

