荒井城は、真鶴半島のねもと付近にあります。現在、荒井城址公園として整備されています。
荒井城へは、JR東海道本線の真鶴駅から徒歩5分あまりです。
ふもとの石碑によれば、後三年の役(1083年)に源義家にしたがって活躍した荒井実継の居城であったと言われ、のちに土肥氏の出城となり、後北条氏時代にはのろし台がおかれていたとも言われているとのことです。

『日本城郭大系』は、窪地は真鶴駅正面の小丘の中にあって、北を向いた開口部がいわゆる堀底道で、側壁に土塁があり、基部には粗雑な石積も認められると述べています。さらに、窪地の中心へすすむと堀底道は東方に曲折し、ここで堀が遮断されていたと推測し、曲折部分上段の削平地が居住跡であると推定しています。
これに対して、『神奈川中世城郭図鑑』は、『日本城郭大系』などが堀底道や土塁としている箇所はどれも自然地形、あるいは公園整備にともなう地形と判断されると、述べています。




公園内には、確かに堀や土塁、曲輪を想定できるような地形が見られました。
公園をすすんでいき、公園の裏手に出た時に、公園より高い位置に住宅が続いているのを見て、城としての違和感を持ったことを覚えています。高い位置から簡単に攻撃されてしまうのではないかと。
しかし、武士の居館の跡だったと考えると、防御のしづらい場所に立地していたとしても、納得はいきます。海老名の上浜田中世建築遺構群では武士階級の住居が斜面の途中に作られていました。武士の普段の住居は戦いを意識していない場所に立地していたと考えられています。そう考えると、堀や土塁は、居館として使われていたときはなかったのかもしれません。
『日本城郭大系』、『神奈川中世城郭図鑑』ともに、付近に「城口」「城ノ本」という地名があったことを述べています。堀や土塁は実際のものではなかったとしても、武士の居館など、過去に何かしらはあった、歴史的な意味を持っている場所なのではないかと思います。
この城へは、実は最初から目指していったわけではありませんでした。真鶴駅の近くに行く用事があった際、真鶴駅前で、偶然「城」と名のついた公園の表示を見つけました。ちょうど少し時間があったので、足を伸ばしてみたところなのです。こうした偶然の城との出会いも、また、おもしろいものだと思います。
ところで、この荒井城址公園は、春にはしだれ桜が咲き誇り、桜の名所となっているようです。竹林とのピンクと緑のコントラストや、夜のライトアップなど、インターネット上では様々な情報が載せられています。桜の季節に訪れるといい場所なのかもしれません。
(写真撮影 2013.7)
参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6」新人物往来社 1980
西股総生・松岡進・田嶌貴久美『図説日本の城郭シリーズ① 神奈川中世城郭図鑑』戎光祥出版 2015

