新戸陣屋

相模の城歩き

新戸陣屋(しんどじんや)は、天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にあたり、相模国に五千石をあてがわれた内藤清成の陣屋で、その後、1700年に廃されたと、『日本城郭大系」に説明されています。陣屋の遺構は残っていませんが、陣屋稲荷が残り、往時を偲ぶことができます。

陣屋稲荷へは、JR相模線、相武台下駅から徒歩5分程度です。

相武台下駅から、改札を出て目の前の道をそのまま東方向に進むと、やがて道は北向きに変わります。のぼり坂の手前に、釣瓶下公園という公園があります。ちょうど陣屋の下に当たる場所です。釣瓶下という地名は、陣屋となにか関わりがあるのかもしれません。

鶴瓶下公園の前の坂を上がったところ、右手に白山姫神社があります。

『日本城郭大系』は、白山神社の東側に陣屋があったと述べています。神社の東側は、現在、住宅地となっています。

この白山姫神社から住宅地をはさんで東側にある通りに、陣屋稲荷があります。『日本城郭大系』は、陣屋伝承地の北東、すなわち鬼門の位置にあたると述べています。陣屋の位置は、白山姫神社と陣屋稲荷の間の、現在住宅地となっているあたりと推測できます。
陣屋稲荷には、相模原市教育委員会による「内藤清成陣屋跡」という説明板も設置されています。

陣屋稲荷の左手前に、陣屋小路という石柱があります。
説明には、「徳川時代に新戸村 磯部村などの相州五千石を所領していた内藤清成は、ここに「内藤陣屋」と呼ばれる屋敷を構えていました そのため、この路地を「陣屋小路」といいます」とあります。

眼の前の通りが陣屋小路なのでしょう。陣屋小路のあたりには、旧家と思われる家も見られます。陣屋となにか関係がある家なのかもしれません。

陣屋があったと思われる白山姫神社から陣屋稲荷にかけてのあたりは、駅のある場所からは、やや高くなっています。駅の東側に流れる鳩川が作る低地と西側の段丘崖に挟まれ、北から続く台地は細く張り出した舌状台地を形成しているのです。駅側から向かうと、舌状台地の先端部をのぼることになるのです。陣屋の位置は、この台地上にあたります。

さらに東方に目を転じると、上位の段丘面や座間丘陵があります。戦乱の時代であれば、陣屋のある台地を見下ろせる位置にあるこちらのほうが、城郭を築くのにふさわしいのかもしれませんが、徳川氏の時代、領主としての陣屋を築くには、そうではないということなのでしょう。

陣屋のある台地の西側、相模川との間は、現在も水田が広がっています。それらの耕作地に近いほうが、陣屋としてのふさわしい位置であったと考えることができます。

写真は、西側の水田から、陣屋の方向を望んだものです。木々があるあたりがやや高くなっていて、陣屋があったと考えられる方向にあたります。当時耕作している人々からも、陣屋が見えたかもしれません。

新戸陣屋は遺構は残っていませんが、陣屋稲荷のあたりの地形や、相模川に向かって広がる水田をふくめた広い視点で見てみると、この地に陣屋を築いた古の思いを感じることができるところです。

参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6』新人物往来社 1980