磯部城

相模の城歩き

磯部城は、文明10年(1478年)、長尾景春の乱の際に、景春方の城として『太田道灌状』に記されていると、『日本城郭大系』は述べています。

Googleマップ上が示す「磯部城跡」は私有地のため、まずは、「上磯部の土塁」を目指します。
「上磯部の土塁」へは、JR相模線、下溝駅から徒歩で15分程度です。

相模川の氾濫原から一段高くなったところ、川沿いの道の途中に、「上磯部の土塁」と書かれた教育委員会による説明板があります。

説明板の後方をのぞくと、土塁が見られます。私有地なので、立ち入りはできません。

このあたりは、道沿いにコンクリート塀が築いてあり、氾濫原から一段高くなったところを通る道路の面から、さらにやや高い土地に、東側の畑や住宅地が広がっていることがわかります。
地形的には、相模川に張り出した台地の西端部分となります。

コンクリート塀の向こう側、土塁がある側は私有地なのでそのまま入ることができません。そこで、ぐるっと遠回りをして、住宅地の方向から土塁のある近くに出れないかと考え、目指そうとしましたが、立ち並んでいる住宅のかげになって、土塁を望むわけにはいきませんでした。
少し開けたところから、土塁の近くと思われる方向を見ることができました。このあたりも城の一部と考えていいのでしょうか。Googleマップ上で磯部城跡とされている方向です。

土塁のあるあたりは、相模川からは一段高くなっている台地上なので、洪水に巻き込まれる心配はないでしょう。今は住宅地や畑となっており、その他の遺構は見当たりませんが、川から一段高くなった地に、川を見下ろす形で城が築かれたと考えれば、いいのかもしれません。

さて、説明板の後半に、「城の中心は現在の御嶽神社や能徳寺の付近だったと推測されています」とあります。この上磯部の土塁は、1997年に相模原市教育委員会が調査し、遺構の存在が確認されたものです。それ以前、1980年に出版された『日本城郭大系』にはこの土塁に関する記述はなく、磯部城を、「新磯小学校の西側一帯、御嶽神社のあたりがその中心であろうと伝えられている」と紹介しています。

御嶽神社は、上磯部の土塁から南西に1.3km、徒歩で20分弱の場所です。

上磯部の土塁から御嶽神社あたりまで「全体が一つの城だったとすれば巨大城郭になってしまう」と、『神奈川中世城郭図鑑』は指摘しています。

『日本城郭大系』が述べる新磯小学校の西側は、土塁があった台地が南側に続く延長上にあります。相模川から一段高くなった平らな台地です。
写真は、台地の南側から御嶽神社方向を撮影したもので、写真左に新磯小学校が見え、その背後の緑地は東側の段丘崖、正面の水田の延長上の平地にある集落や木々のあたりが、御嶽神社を含む『日本城郭大系」が想定する城の場所です。

御嶽神社は住宅地の中にひっそりとありました。

御嶽神社の由来の中に、「磯部城」の記述が見られます。

この神社から西に向かうと、説明板にあった能徳寺があります。

能徳寺の西側が、地形としてはやや低くなっています。城郭の遺構なのでしょうか。

ところで、このあたりの東方、小学校の東側には上位の段丘面があり、そこからこの地は見下されることになってしまいます。そう考えると、戦乱の時代の城郭としては、ふさわしい場所ではないように思えます。

そこで、あたりをさらに探してみると、御嶽神社と能徳寺のあいだに、大山道を示す道標がありました。

さらに、能徳寺の東、相模川沿いには、磯部の渡しの碑がありました。

大山詣では江戸時代さかんだったので、時代はやや違いますが、磯部城が築かれた当時も、この地に、街道が通り、相模川をわたる渡しがあったことは想像できます。

つまり、この地は、街道の渡河点に近い、重要な場所であり、敵を迎え撃つ、または防御する、重要な拠点であったと考えることができます。城を築いた際、背後の段丘崖からの攻撃を想定するのではなく、相模川を越えてくる敵に対応することを目的としたのです。だから標高の高い上位の段丘面ではなく、渡河点により近いこの地に城が築かれたのです。

城というものを、近世のように殿様が生活し領民を統治する常設の場だと考えるのではなく、戦いの際に、築いた砦、要塞と考えれば、その時の戦況により必要な場所に築いたのだと考えることができます。
磯部城は、その時代の必要性に応じて、相模川の渡河点付近に築かれた城郭なのでしょう。

そうすると、1km以上の範囲を持つ巨大城郭を想定するよりも、土塁が見つかったあたりか、伝えられる御嶽神社のあたりのどちらか、もしくは、両方がそれぞれ別の城であったと考えられるのではないでしょうか。

相模川をはさんだ戦いは何度も行われたことでしょう。すると、その都度、適した地に城を築いたと考えれば、その場所が複数あっても、不自然ではありません。磯部城の性格も、よりはっきりとしてくるように思います。

参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6』新人物往来社 1980
   西股総生・松岡進・田嶌貴久美『神奈川 中世城郭図鑑』戎光祥出版 2015