田名氏居館

相模の城歩き

田名氏は、武蔵七党の一つ横山党、横山時広の次男広季が田名二郎兵衛を名乗ったことに始まるとされています。
田名氏居館のあった場所は、現在、堀之内という地名が残っていて、『日本城郭大系』は、池の南側の一郭にあったと述べています。

田名氏居館の位置の目安となる池は、現在、田名大杉公園の中にあり、場所は、神奈川中央交通の田名バスターミナルから、南に徒歩6分ほどのところです。田名バスターミナルには、JR相模線 上溝駅、JR横浜線 橋本駅などからバスが出ています。

『日本城郭大系』は、館は池の南側の一郭、すなわち溜池を背にして水源を確保する位置にあったと伝えられると述べています。

池の南側には小川が東に伸びている様子が見られます。

『日本城郭大系』は、池の西南側の蚕影山(こかげさん)神社や道祖神の位置が周囲より一段高く、土塁の跡と考えられると述べています。
実際に、池から西南の方向にある蚕影山神社は、周囲の住宅地から一段高くなっている場所にたっており、土塁の遺構であると想像できます。

この池の南側は、相模川がつくる河岸段丘の最下段の陽原(みなはら)面という段丘面にあたります。相模川の氾濫原との境目となる崖まで西南方向に200mほどあり、そこまでほぼ平らな面が続いています。

つまり、西南側が崖となっている陽当りの良い、平らな地形で、池から流れる水で耕作された田畑と集落を、統治する館を設けるには、向いた場所だといえます。
この館の土塁が、神社のあたりに残っているということも、うなずけます。

さて、池の北側に目を転じると、そこもまた崖になっていて、大杉公園の遊具などの広場は、池より高い場所にあることがわかります。

この広場は、土塁のようにその場所だけ高くなっているわけではなく、そのまま北側にほぼ同じ高さの地形が続いています。この平らな面は、相模川の形成する河岸段丘の陽原面の上の段に当たる田名原面です。
つまり、この池は、田名原面と陽原面という2つの段丘面の境にある崖の下にあるのです。

地理院地図を加工 赤い線はおおまかな段丘崖の位置

現在、堀之内という地名のつくコンビニエンスストア、公園、信号、バス停などの場所は、すべて、この池より北側の、田名原面上に分布しています。堀之内という地名の範囲は広いようです。

池の北側、堀之内という地名の通りに、堀に囲まれた居館があったとすると、その居館は広い田名原面の西端に位置し、そこは下段の陽原面や相模川氾濫原にある田畑や集落を見下ろす位置であり、館を作るには都合のいい場所であったと考えられます。


どういう経緯で池の北側、田名原面の西端に、堀之内という地名が広く存在するのかわかりませんが、こちら側に館があったという可能性も、地形的には考えられるように思います。

現在は、先述の土塁以外遺構が見られないので、わからない点が多いのですが、どこに館があったのか、現在は住宅街となった場所を歩きながら、古に思いをめぐらしました。

ちなみに、公園に隣接してある、相模田名民家資料館には、養蚕に関する展示や地域の民俗資料等が展示してあり、興味深い場所で、見学をおすすめします。

参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6』新人物往来社 1980