海老名源八季定の四男四郎季能(義季)は下海老名郷に住み下海老名氏を名乗り、のちに播磨国矢野庄に移住し、播磨海老名氏となったと、『日本城郭大系』は述べています。
下海老名氏の館は、現在の中野、門沢橋地区にあったとされます。
JR相模線 門沢橋駅がめやすになります。
このあたりは相模川沿いの低地が広がっているところです。

地理院地図
館があったことに関わりがあると考えられる、「跡堀」「馬場」の地名(『日本城郭大系』に紹介されています)が、明治時代の地形図に、わずかに出てきます。
「跡堀」とされる場所は、現在、圏央道から新東名高速道路に向かう海老名南JCTができています。

「馬場」とされる場所は住宅地になっていて、現在はその一角が門沢橋第一児童公園になっています。

これらの地名が、現在も建造物や地区名など何かに使われいないかと探したのですが、見つけることはできませんでした。
その他、館があったことを示す痕跡も、見つけることができませんでした。
『日本城郭大系』も、「在住期間が短いうえに、時代変化の影響を受けやすい平野部であるだけに、伝承の失われた居館跡のポイントを追跡するのは容易ではない」と述べており、この地に館があったことを示す痕跡は、すべて歴史の中で失われてしまったのかもしれません。
居館の痕跡は見つかりませんでしたが、地形から、当時、相模川沿いの低地には水田が広がっていたと想像でき、領地の水田に囲まれた、いい場所に館があったのだと考えられました。
参考 児玉幸多・坪井清足監修『日本城郭大系 6』新人物往来社 1980

