相模の城歩き

相模の城歩き

北条氏照星谷陣場

北条氏政の弟で武蔵八王子城主北条氏照が、天正年間のころたびたび、星谷(ほしのや)観音堂を陣場に利用したと『日本城郭大系』が述べています。 当時星谷観音堂があった場所は、現在の星谷寺(しょうこくじ)の北東、字本堂、通称ホンドウヤマの頂上で、県...
相模の城歩き

今泉館

武蔵七党の一つで横山党に近い猪俣党の祖時資から七代目の伊予僧都が、今泉氏を名乗っています。 今泉氏の館は通称井戸坂の北側にあったとされ、その井戸坂へは、JR相模線 海老名駅から徒歩20分あまりです。 西側に相模川の氾濫原が広がり、そこに、東...
相模の城歩き

白井織部是房屋敷/座間城

応仁・文明年間(1467−1487)の頃、座間七村の地頭職であった白井織部是房の屋敷跡が、座間山心岩寺の北二百メートルのあたりにあると、『日本城郭大系』は述べています。 白井織部是房屋敷跡を示す標柱がある場所へは、小田急小田原線 座間駅から...
相模の城歩き

国分館

海老名源八季定の三男有季は国分に住み、相模国分氏を称し、館跡は国分地区字中屋敷に推定されていると、『日本城郭大系』は述べています。 国分氏の館は、JR相模線・小田急線・相鉄線 海老名駅の東、相模国分寺跡の西側にあたります。 海老名駅の小田急...
相模の城歩き

下海老名館

海老名源八季定の四男四郎季能(義季)は下海老名郷に住み下海老名氏を名乗り、のちに播磨国矢野庄に移住し、播磨海老名氏となったと、『日本城郭大系』は述べています。 下海老名氏の館は、現在の中野、門沢橋地区にあったとされます。JR相模線 門沢橋駅...
相模の城歩き

恩馬館/恩馬城

平安末期に高座郡渋谷庄の丘陵一帯に勢力を張った渋谷庄司重国の三男時国は、恩馬(おんま)に居を構えて恩馬三郎と称したと『日本城郭大系』は述べています(『大系』は重国の子光重の三男重保であった可能性にも触れています)。恩馬氏の居跡の伝承地は現在...
相模の城歩き

中土合城山

海老名市杉久保に、中土合(なかどあい)という小字名があり、そこに、城山(じょうやま)と呼ばれる小丘があったと、『日本城郭大系』が紹介しています。 市道1号線が東名高速道路と交差するあたりに、「城山」(相鉄バスHPによれば読みは「しろやま」)...
相模の城歩き

大谷館

薩摩鶴田氏の祖として知られる渋谷庄司重国の四男重茂は、薩摩に下る前は高座郡大谷(おおや)郷に居を構え、大谷四郎を名乗っていたことが「渋谷系図」にあると、『日本城郭大系』は述べています。 JR相模線・小田急線・相鉄線 海老名駅より、相鉄バス(...
相模の城歩き

大島豊後守正時屋敷

大島豊後守正時(おおしまぶんごのかみまさとき)は、房総里見氏の武将大島義金の息子にあたります。 永享の乱(1438年)の際、房総里見氏は、大島義金を海老名氏に援軍として送ります。このことが機縁となって、正時は海老名一族の将、海老名兵衛尉広治...
相模の城歩き

高木主水正清秀屋敷

高木主水正清秀(たかぎもんどのしょうきよひで)は、天正18(1590)年、徳川家康の関東討入の際に武蔵・上総・相模に五千石の知行を得、文禄3(1594)年に子の正次に家督を譲り、海老名郷に居を構えた、と『日本城郭大系』は述べています。 そし...