相模の城歩き

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懐島権守景義館(懐嶋館址)

懐島(ふところじま)権守景義は、平安時代末期から鎌倉時代初期の豪族大庭平太景義の別称です。 保元の乱では源義朝に従い、源頼朝の旗揚げに際しては、弟の景親が平氏方についたのに対し、当初から頼朝に従い、その功績で鎌倉幕府の重臣となりました。晩年...
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梶原景時城(梶原景時館址)

梶原景時は、鎌倉幕府草創期の重臣として知られています。源頼朝の死後、みずから企てた結城朝光に対する讒言により幕府重臣の反感をかって失脚し、鎌倉を追われ上洛を企てましたが、駿河一の宮で誅されました。梶原景時の城跡伝承地は、相模川東岸の寒川神社...
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田名氏居館

田名氏は、武蔵七党の一つ横山党、横山時広の次男広季が田名二郎兵衛を名乗ったことに始まるとされています。田名氏居館のあった場所は、現在、堀之内という地名が残っていて、『日本城郭大系』は、池の南側の一郭にあったと述べています。 田名氏居館の位置...
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当麻城山

当麻の城山について、『吾妻鏡』に見られる源範頼の家人当麻太郎、鶴岡八幡宮放生会で流鏑馬の射手をつとめた当麻右馬五郎など、鎌倉期に当麻を名乗る武将との関連は明らかではありません。後北条氏の家臣当麻豊後守の邸址ともいいますが、こちらも、資料から...
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下溝堀之内

下溝堀之内は、北条氏政の弟氏照の娘の貞心が嫁入りした山中大炊助の屋敷跡と伝えられています。 下溝堀之内は、JR相模線 原当麻駅より、徒歩15分程度です。 地形図でみると、現在も四方を囲んだ堀の形がうっすら残っている様子がわかります。 地理院...
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磯部城

磯部城は、文明10年(1478年)、長尾景春の乱の際に、景春方の城として『太田道灌状』に記されていると、『日本城郭大系』は述べています。 Googleマップ上が示す「磯部城跡」は私有地のため、まずは、「上磯部の土塁」を目指します。「上磯部の...
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新戸陣屋

新戸陣屋(しんどじんや)は、天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にあたり、相模国に五千石をあてがわれた内藤清成の陣屋で、その後、1700年に廃されたと、『日本城郭大系」に説明されています。陣屋の遺構は残っていませんが、陣屋稲荷が残り...
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海老名館

海老名氏は平安時代末期から室町時代のころまで、現在の神奈川県海老名市あたりを中心に栄えた一族です。現在、館跡は残っていません。 JR相模線、小田急小田原線、相鉄線の海老名駅から徒歩20分弱で「海老名氏記念碑」、そこから徒歩10分弱で「海老名...
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大庭城

大庭城は、大庭城址公園として整備され、春には花見、また、フジ棚やバラ園などもあり、四季折々の植物が楽しめるところです。遊具も充実しており、家族連れを含め、多くの人々に親しまれているところです。 大庭城へは、JR東海道線藤沢駅や辻堂駅、小田急...
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淵辺義博居館

淵辺義博(ふちべよしひろ)は、中先代の乱(1335年)の際に足利直義の命により護良親王を殺害したとされる人物で、遠い昔、高校の授業で教わったことがあります。遺構は残っていないようですが、居館跡を示す石碑が建っています。 淵辺義博居館跡は、J...